(意識高い系)カタカナ言葉の多用に思うところ
最近、カタカナ語を使っている人を「意識が高い(笑)」と皮肉る人がいる。
例えば、
「エビデンスを固めてからアジェンダを作って、アジャイルな開発を進行するべき」
(=根拠を固めてから、進行予定表を作って、迅速な開発を進行するべき)
とか
本人意味わかって喋ってるのかなって、思ってしまう。
要は、英語をカタカナにした言葉を好んで多用しているのである。
なぜ、英語のまま使ってしまうのか、いくつか理由を考えてみた
・日本語に該当する言葉がない
・相手にわかりにくくすることで、議論を有利に進めたい
・適当な表現で、相手を煙に巻きたい
・語彙力がないために、日本語で表現することができない
・単に格好をつけるため
こんなもんだろうか?
上の3つ
・日本語に該当する言葉がない
・相手にわかりにくくすることで、議論を有利に進めたい
・適当な表現で、相手を煙に巻きたい
これらは、理由として真っ当であると思う。
日本語では伝わらないニュアンス(表現の機微)を伝えたい。もしくは、めんどくさい議論を避ける目的がはっきりしている。
問題は下の2つ
・語彙力がないために、日本語で表現することができない
・単に格好をつけるため
この場合、 日本語でわかっていないのに、あやふやな概念のまま平気で会話に使っていることになる。
馬鹿にされるのもうなずける。
とすると、カタカナ語を使う人を馬鹿にする前に、
意味のわからないことを言っているのか、
意図があって使っているのか、
を判別できるだけの知恵がないと、本当の馬鹿は笑っている当人になってしまう。
日本語も英語も勉強しないとなぁ…。