overflow33の日記

python 機械学習 系の記事を書いて行きたい所存

(意識高い系)カタカナ言葉の多用に思うところ

最近、カタカナ語を使っている人を「意識が高い(笑)」と皮肉る人がいる。

例えば、

エビデンスを固めてからアジェンダを作って、アジャイルな開発を進行するべき」

(=根拠を固めてから、進行予定表を作って、迅速な開発を進行するべき)

とか

本人意味わかって喋ってるのかなって、思ってしまう。

 

要は、英語をカタカナにした言葉を好んで多用しているのである。

なぜ、英語のまま使ってしまうのか、いくつか理由を考えてみた

・日本語に該当する言葉がない

・相手にわかりにくくすることで、議論を有利に進めたい

・適当な表現で、相手を煙に巻きたい

・語彙力がないために、日本語で表現することができない

・単に格好をつけるため

 

こんなもんだろうか?

 

上の3つ

・日本語に該当する言葉がない

・相手にわかりにくくすることで、議論を有利に進めたい

・適当な表現で、相手を煙に巻きたい

これらは、理由として真っ当であると思う。

日本語では伝わらないニュアンス(表現の機微)を伝えたい。もしくは、めんどくさい議論を避ける目的がはっきりしている。

 

問題は下の2つ

・語彙力がないために、日本語で表現することができない

・単に格好をつけるため

この場合、 日本語でわかっていないのに、あやふやな概念のまま平気で会話に使っていることになる。

馬鹿にされるのもうなずける。

 

とすると、カタカナ語を使う人を馬鹿にする前に、

意味のわからないことを言っているのか、

意図があって使っているのか、

を判別できるだけの知恵がないと、本当の馬鹿は笑っている当人になってしまう。

日本語も英語も勉強しないとなぁ…。